2023年10月29日日曜日

北向庚申 伊勢市辻久留

伊勢市辻久留といえば 宮川沿いに県道を遡っていって コメリのあたりだろうと思っていたのですが 度会橋を渡ってすぐ南に100mほども入ると もうそのへんは辻久留なんですねえ
ええ? 中島町でしょう? 二俣町かも? と納得がいかなかったのですが 地図を見ると なるほど 南北に2kmほどの弓なりに伸びた町なんだ 辻町と久留町を併せ呼ぶようになったのですね
この辺り 車を停める場所を見つけるのに苦労しましたが
目的地の北向庚申堂は公民館のすぐ隣にあります
中央に安置された大きな青石に青面金剛さんが刻まれています
一面二譬の青色金剛さんです
二手の青面金剛さんはお目にかかったことありませんねえ
上部左右に日月 左手に剣を 右手に宝輪を持ちます
腰から下は机に隠れて見えていません 石の上部 三分の二程度が見えている感じです

堂内の由緒書きを下に引用しておきます

北向庚申 (辻久留庚申堂)
この庚申堂が、現在地に移ったのは、八十年ほど前のことで、通称北向庚申と呼ばれている。北を向いている庚申堂は、全国でも珍しいので、この呼び名がある。
堂の正面には、市内で最も大きい青面金剛像(石像)が安置されている。これには天和三癸亥十月廿二日(1683年、三百年前)と刻まれている。この像の両側には、小さな線刻の庚申と半肉彫りの青面金剛像が祀られている。就職進学、商売繁盛にご利益があるとして、お詣りが多い。お堂の扉に猿を型取った縫いぐるみがつながって、ぶらさげられている。これは、願望が満たされた時に、お礼として捧げられたものだという。伊勢市では、最も信仰の篤い庚申さんの一つと言えるであろう。
由緒書きの中では「猿を型取った縫いぐるみ」とありますが
壁にはこんなものが吊るされています
格子戸越しに写真を撮っているので みんな同じアングルです
天和三年(1683)の刻銘があり 伊勢市内の青面金剛さんの中では最も古い像のようです
お堂の前で整列している地蔵さん 六地蔵さんのように並んでいますが
一体は阿弥陀さんのようです

2023年10月28日土曜日

高蔵禅寺の青面金剛 伊勢市東豊浜町

豊浜町の瑞雲寺を出て 県道に戻って再び北上します
宮川と外城田川の河口に挟まれた沖積地の先端部に高蔵禅寺はあります
境内に入ると一際目立つ真っ赤な祠の中で
青色金剛さんはお祀りされています
一部が黒く彩色されています
スタンダードな一面六臂像
頭上に日月瑞雲
左手に宝輪と弓と人 右手に戟と矢と剣
邪鬼を踏み締めて その下に三猿と二鶏
境内には他にも仏さんの姿があります
こちらは女人講の如意輪観音さん
こちらは千手観音さん

2023年10月27日金曜日

瑞雲寺の青面金剛 伊勢市東豊浜町

彩色が施された青面金剛さんを見かけることがあります
暗い祠の中で見る鮮やかな色には いつもはっと驚かさられます
ここ瑞雲寺の青面金剛さんも 美しい彩色の青面金剛さんでした

東豊浜町は宮川の河口左岸の沖積低地に広がる村落です
宮川大橋で国道23号を県道に降りて宮川河口に向かって進みます
途中から宮川の堤防を離れて集落へと入っていきますが
目指す瑞雲寺は 車で侵入するのは躊躇われるような 細い在所道の奥にあります
境内のお堂に 青面金剛さんはお祀りされていました
蔵王権現さんのような青い彩色です 慈悲と寛容の青です
一面六臂 左手に宝輪と索でしょうか? 下にぶら下げているのは人だろうと思います  
右手には戟と弓?と剣?でしょうか  
そして注目したいのは 足元の邪鬼の両側に描かれた二童子です
仏像を制作する際には 作る仏さん毎に決まり事があります それを儀軌と言います
作像する仏さんが結ぶべき印の種類や持物や脇侍などがそこで定められています
青面金剛さんの場合は「陀羅尼集経」の中の「大青面金剛呪法」に依っていて
そこには
『両脚の下に鬼を安んじ その左右両辺に おのおの一人の青衣の童子を作る』 
と あります
実際には 青面金剛さんには儀軌に適った作像は少なくて 持物や脇役のキャラクターも様々なのですが 特にこの二童子が石像に描かれるケースはあまりありません
伊勢市内では 脇に二童子を置く青面金剛さんはここだけだろうと思います
伊勢市のお隣 度会町栗原にある道楽神石像には西面に三面六臂の青面金剛像と 南面に2体の男女の像が刻まれていて 南面の二体は道祖神とされていますが わたしはこれも青面金剛さんに付随する二童子ではないかと考えています 
寛保三年(1743)の記銘があります

2023年10月22日日曜日

ほうろく岩の石仏 松阪市大石町

 


松阪市大石町の大石不動院 松阪の人らは「おいしの不動さん」と呼んで親しんでいる
不動院を出て松阪方面に向かって100mほど歩くと 左手の岸壁のたもとに建つ小さな祠
中には二体の石仏がお祀りされている
左に智拳印を結ぶ大日如来さんと右に三面二譬の馬頭観音さん
その昔 街道は祠のすぐ前を通っていたらしい
大和と伊勢を結ぶ旧伊勢本街道である また ここ大石から横野までの区間は松阪と和歌山を結ぶ和歌山街道が重複していたので 行き交う旅人も多かったことだろう 

祠の背後にそびえる岸壁は『ほうろく岩』と呼ばれている
大正の頃の写真を見ると そそり立った岸壁の上部に大きな岩が嵌まり込んだようになっている 嵌り込んだ隙間からは背後の空間が覗いていて いかにも危なっかしい

こんな昔話が伝わっている
大和から伊勢へ向かう「ほうろく売り」の商人がここを通った時のこと
『ほうろく』とは 素焼きの土鍋のことなのだが
岩壁の下を通った時にあの岩が落ちてきたら 苦労して背負ってきたほうろくが全部割れてしまう と心配で動けなくなってしまった どうしたものかと考えあぐねたすえ 思い切って大急ぎで走り抜けてしまおうと 意を決して走り始めたが その途端 小石につまずいて転んでしまい 背中のほうろくは全部割れてダメになってしまった
それ以来 「ほうろく岩」と呼ばれるようになったという

たぶん国道整備の頃にほうろく岩も工事されたのだろう
今では危なげない小さく岩肌が見えるだけである
夏になると天然記念物のムカデランが花を咲かせる

2023年10月4日水曜日

キトラ地蔵 津市戸木町

キトラ地蔵さんのことを知ったのは もう十年以上も前のことになる
久居のふるさと文学館の郷土資料コーナーで見つけた 
『郷土の文化 ふるさとを語る昔話』という冊子の中に 
「夜遊びをする地蔵さん」として紹介されていた
 
「戸木口交差点北側の道路沿いにブロック造りの小さなほこらがあります〜」 
ずっと津市の西部で勤めていたので そのブロック造りの小さなほこらはよく知っている
そうか キトラ地蔵さんというのか 仕事帰りに寄ってみよう と思っていたのだが
それからあっという間に月日は流れ 
気がつくと 仕事を辞めて5年も経ってしまっている
うかうかしていると当方の寿命が尽きてしまいそうなので
いまさら慌てて出かけてみた
祠の中には石棺の蓋がお祀りされている ホゾ継ぎに使ったのだろう溝が彫られていて
キトラ地蔵さんと呼び習わされてはいるが 地蔵さんの姿は刻まれていないようだ

キトラ古墳の「キトラ」は玄室に描かれた四神の中の玄武と白虎のこととおもうが
『郷土の文化 ふるさとを語る昔話』では「北浦」という地名を充てている
とするとこの地蔵さんは「北浦」という地に由来するものだろうか
この地蔵さんの近所には「裏向き地蔵さん」という地蔵さんもおられるらしい
農業用水路の橋になって裏向きに横たわっておいでなそうな
時々キトラ地蔵さんが「町に遊びに行こに」と裏向き地蔵さんを誘いにいかれると
連れ立って遊びに行かれるらしい その際に夜道を照らす赤い神火が時々見られるという