2022年4月28日木曜日

新開庚申塔 伊勢市御園町

伊勢市御園町新開
気分転換にバイクに乗って出かけてみました
行き先は伊勢市御園町
旧参宮道を辿って40分ほど
そろそろ腰が痛くなってきたところで現場到着です

昔の地図を眺めてみると 集落の南端にあたる十字路
その北東角の覆堂の中に宝永銘の庚申塔と並んで青面金剛像が立っています
三面六譬 一般的な持物を持ち 上部の日月には雲を従えています
足元に天邪鬼を踏み その下に三猿
全身が彩色されています
赤 青 白 黒 黄 の五色
この十字路は東に向かえば神宮港 西には王中島 南には船江 と
在所の中と外の世界を分つ重要な境界にあたる場所です
悪いものが入ってこないように見張ってもらうには
怖いかみさんほど頼りになったのでしょうね

2022年4月21日木曜日

穴倉の地蔵磨崖仏 津市美里町穴倉


津市美里町穴倉

経が峰東麓の山里 
とは言っても県道とは随分広い道路で繋がれています
白山芸濃間の広域農道が出来て以来 このあたりも急速に景色が変わってしまいました

お寺の辺りで路肩の広い場所を探して車を停めて
ここからは穴倉川に沿いに経が峰に向かって歩きます
右手に北穴倉の在所を眺めながら300mほど行くと
在所の西の外れで穴倉川に掛かる橋を渡ります
さらに川に沿って別所の在所に続く道を行くと
路肩に露出した岩肌に 地蔵さんを見つけることができました

輪郭を彫り窪めた中に半肉彫りの仏さんの立ち姿です
脆い凝灰岩の表面に彫りつけてあるため 
今にも崩れ落ちてしまいそうで
蓮弁も持物も何もわかりませんが
しっかりした力強い彫りの跡です
右手に錫杖が見えませんが
錫杖だけが綺麗に剥落してしまったものではなく
合掌形の地蔵さんだろうとおもいます

それにしても 地蔵さんこんなところで何をしておいでるの?
そう尋ねたくなります
北穴倉の集落の塞の神の役をしてみえるのでしょうか



2022年4月20日水曜日

石仏が石に彫られていること

先日は津市稲葉町の稲葉神社の懸税(かけちから)の御霊石のことを書きました
大石に神さんが降りてきたというお話でしたが
こんどは伊賀市安場の大石です
旧名張街道と上野名張バイパスの間に横たわる丘陵
立木の中の小さな広場のような場所に二個の巨大な球形の岩が並んでいます
右の岩には地蔵さん 左の岩には役行者さんが彫られています
この磨崖仏は資料がないので私なんかには時代はわかりませんが
左の役行者さんは大峰講の造立ですから
江戸中期以降のものではないでしょうか
見ていると稲葉神社の懸税(かけちから)の御霊石のように
「忽然と出現した」ところを想像したくなります
よく似た磨崖仏がこの近く伊賀市古山界外の光明寺裏山にもあります
やはり巨大な丸石に彫られた地蔵さんです
こちらは室町後期頃の造立といわれています 
今から五百年近く前のこと
忽然と出現したように見える巨大な丸石を前にして
「霊(タマ)が宿っとるみたいや」
「霊(タマ)が石になって現れたみたいや」
そんなことを考えたのではないでしょうか
そんな感覚は古代や中世の人だけのものではありません
平成七年のこと 
山添村のふるさとセンターの造成工事の際に忽然と現れた巨大な球形の岩
今では長寿岩と命名されて 最近の写真を見ると しめ縄の鉢巻が巻かれています
現代人の感覚でも何やら霊的な力を感じる
今風に言えばパワーを貰えるような感じがするのではないでしょうか
子供の頃に読んだ本に
大野の磨崖仏を彫ったのは罪人たちではなかったか
という文章があって それには子供心に違和感を感じたものです
石工たちは岩の肌に弥勒が顕現する喜びに胸が躍ったのではないでしょうか
仏の姿をこの世に現すには石が何よりも相応しいということを
知っていたのだろうとおもいます


2022年4月19日火曜日

稲葉神社の懸税(かけちから)の御霊石

 

津市稲葉町


わたしが勤めていた職場のすぐ近くに稲葉神社という宮さんがあります

延喜式には旧久居市内に式内社を四社をあげています

新家町の物部神社 戸木町の敏太神社 榊原町の射山神社 そして稲葉町の稲葉神社です

ですから少なくとも平安中期にはこの地で信仰を集めていた神社です


社殿の後に懸税(かけちから)の御霊石と呼ばれる大石が横たわっています

この地上高1.9m長さ1.8mに及ぶ巨大な花崗岩を御神体としています

神社の縁起によると この神社は志摩伊雑宮から勧請されたもので 

御神体の大石は勧請の夜 突然一夜にして社頭に出現したといわれています

『遷宮之竟夜社頭之後ニ大石出現ス』 延喜式神名帳

また勧請と同時に稲一株を咥えてこの地に飛び立った鶴の化身がこの大石だとも言われて

この地に稲作を伝えた神さんと信じられています

現実には「懸税の御霊石」が一夜にして出現するはずがありませんから

伊雑宮から神さんが勧請される前 延喜式が編まれた平安時代よりもっともっと前

そんな遥か昔からこの大石は「オレとこの在所の神さん」だったはずです 


古来 石や岩は神さんが降臨する依代と考えられていました

では遥か昔に「懸税の御霊石」に降臨した「オレとこの在所の神さん」はどんな神さんだったのでしょうか

神道や仏教よりも前の最も原初的な神さんを想像すると 

在所の死者の御霊が山を上り長い歳月をかけて清まった祖霊神 

つまり山神さんだったろうとおもいます

特別な祭日には「懸税の御霊石」に降りてきてもらって

飲食を共にして祝うこともあったのではないでしょうか

そういえば小正月には稲葉の涅槃寺の裏山で山神神事が執り行われます

どんど火を焚いて その火で餅を焼いて持ち帰ります

神さんと交歓する祭りが営々と続けられていると考えることもできます 


さて話を稲葉神社に戻しましょう

伊雑宮から勧請された稲葉神社の祭神は大年命と玉柱屋姫命の二座です

玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)は天叢雲命(あめのむらくものみこと)の子孫 

伊雑宮のある磯部の先祖神さんで 御神体は『御形鏡坐』とあるのでここでは置いといて

もう一柱の大年命については

倭姫命世記に多野田蝿田両郡ノ氏神之縁起として『大歳神一座 国津神御子 御形石坐』とあるので

勧請の夜に突然大石の姿で出現した神さんはこの神さんだとわかります


大年命はスサノオ命と神大市姫との間に生まれた神さんで 要するに年神さんのことです

年神とは稲魂を育てる神さんで 立春の前に他界から降りてきて豊穣を約束する神さんです

つまりはお正月の神さんと言うことですね

お正月は元々は年神を迎える行事でした 門松は年神の依代 鏡餅は年神への供物でした

そして年神さんは近世以降は祖霊信仰と習合していきます

柳田國男は年神を「一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神である」としています


仏教や神道より遥か昔に大石に降り立った神さん 神社の主神である大年命 涅槃寺の裏山で餅を焼いて祝う山神

その全てが里人に豊穣を約束する祖霊の神さんでした


今よりも「死」は近くにありました

ばあちゃんやじいちゃんだけでなく 子や兄弟を亡くすこともあったでしょう

死んだ多くの人の魂が 山の高いところで 里を見守ってくれている

稲葉の神さんは そんな神さんだったのかなとおもいます


それらのことが「石仏の冒険」とどう関わっているのか

そのへんはまた