2023年11月13日月曜日

大村神社の願掛けなまず 伊賀市阿保

愛嬌のある顔が並んでいます
ハクション大魔王にも似てますよね
大村神社の願掛けなまずです 
買ってきたらよかったなあ
ようけおるんです
このくらい並べてみたいよなあ


 

2023年11月12日日曜日

瑞巌寺の百八ツ地蔵 松阪市岩内町

昔の写真を眺めていたら出てきました

松阪の小学生ならば「よーちに行こか?」と言うだけで 
それが岩内瑞巌寺の庭園のことだとわかるにちがいありません 
いやー 今の子らは違うのかなあ?
ここは小学校の遠足の定番でした
庭園の池の周囲にはツツジやサクラの花が咲いて
それなりに賑わったものでした
お寺の名物は紫蘇飯で 父母を連れて出かけたこともありましたが
いつの間にかお寺も無住になり 今では本堂以外の建物は撤去されて
ずいぶんと景観もかわってしまいました
七年ほど前の写真です 子どもの頃はこのアーチの上に回廊が立っていて
その下をくぐってお寺に行けるようになっていました
さて 自然石の表面を平らにして 無数の仏さんが刻まれた石板です
傍には「108ツの地蔵」と立て札があるのですが
どうも素直には納得がいかずに考えてしまいました
確かに東日本には地蔵百八霊場とかもあるようですが
この辺りでは地蔵さんと百八という数字は あまりピッタリ結びつきませんね
確かに地蔵さんの姿にも見えるのですけど
大雑把に「たくさん」という意味でなら 百観音とかがありますけど
観音さんの姿でもなさそうです
丹念に数えてみると 仏さんの数は五十四体刻まれています
ちょっと自信はありませんが
無量寿経の中の「五十三仏」に世自在王如来を加えた五十四仏ではないかとおもうのです
阿弥陀さんが悟りをひらく前 法蔵菩薩と呼ばれていた頃に その師匠の世自在王如来とその前世仏の五十三仏とを合わせて五十四仏としたのではないでしょうか
特に瑞巌寺は江戸時代以降は浄土宗でしたから無量寿経に即した五十四仏と考えてもよさそうなきがします
 

2023年11月10日金曜日

柏尾の地蔵庚申 伊賀市柏尾

柏尾の在所をすこし歩いて祐林寺を過ぎたところで柏尾川を渡ります
橋を渡って左にしばらく進んでいくと 
丘に登る小道の下に姿の良い地蔵さんが立っています
旧青山町時代の広報誌に掲載されていた「あおやま風土記」を WEB版として公開されているサイトがあります そこでは昭和55年7月から平成9年4月までの17年にわたる記事をすべて閲覧することができます
地域の歴史や民俗は 知らないうちに消えていってしまいます
諸行無常ですね この世の一切は常に生滅流転を繰り返しています 
実際に半世紀以上生きてみると そのことがよくわかるようになってきました
当たり前のことで 仕方のないこととはいえ
それだけに忘れずに伝えていきたいというきもちにもなります
この柏尾の地蔵さんも「あおやま風土記」の中でみつけた地蔵さんです
地蔵さんの光背に刻銘が刻まれているのがわかります
肉眼では判読できませんが 「あおやま風土記」に掲載された記事には

光背の向かって左に「天文十四年巳乙十一月一日」、右に「庚申之供養祐心」の刻字銘があり、庚申さんであることがわかる 

とあります
室町後期の古い地蔵さんです 
寺脇の宝厳寺から阿保にかけて天文の在銘石仏は少なくはないのですが
それほど多くが残されているわけでもありません
ちなみに旧青山町内の天文11年以前の在銘石仏はほとんどが町の文化財に指定されていることからも 天文14年のこの地蔵さんの古さがわかります

どこかで見たようなお顔だとおもい 写真を探してみると
慈福寺天文七年銘地蔵石仏
阿保慈福寺の無縁塔に立っている地蔵さんとそっくりですね
天文七年(1538)の銘があります 同じ石工の手によるものではないでしょうか
錫杖を持つ右手の小指を伸ばしています 
寺脇宝厳寺参道の大きな地蔵さん こちらは天文8年の刻銘がありますが
この地蔵さんあたりからの流行のようです
張りのある体躯から跳ね上げた衣の先までが滑らかな線で表現されていて
そのあたりには比奈知型石仏の伝統も感じます
光背右側の「庚申之供養祐心」と刻まれた文字からもわかるように
地元では庚申さんとして供養されています 
そこで少し疑問におもったのですが
庚申さんの主尊といえばほとんど青面金剛さんですが そうなる以前には それ以外の仏さんが主尊とされてきた時代がありました 地蔵さんを主尊とした庚申塔も残ってはいるのですが これらは江戸前期の承応(1652〜1654)の頃と考えられています ですから天文14年(1545)のこの地蔵さんは100年ほど早いですね それに 庚申講が民間に広がる時期としても 室町後期は少し早過ぎないのかな?とおもったのです
ひょっとして 右側の刻銘は近世に入ってからの追刻ではないだろうか
帰り道でそんなことを考えていました

ところが 帰ってから 県史編さん室の「発見!三重の歴史」の電子版の中に
津市一志町大仰の誕生寺の阿弥陀石仏の光背に天文十六年の紀年銘と庚申塔として建立された趣意がわかる刻銘が残っているというのです

砂岩に阿弥陀如来の立像を半肉彫にあらわし、像の両側に「庚申待衆八人」「天文十六丁未十二月十三日」の刻銘がある。
 
写真も出ていて 立ち姿の阿弥陀さんの右側に はっきり「庚申待衆八人」と刻まれています 左側に刻まれた紀年銘を刻んだ文字と全く同じで 建立時の刻銘だとおもわれます 
どうやら天文の頃から地蔵さんや阿弥陀さんを主尊として庚申待がおこなわれていたようです 柏尾の地蔵さんも その古い例を伝える地蔵さんだということがわかりました
地蔵さんの横の小道は旧な坂道になっていて 登っていくと享保の銘のある役行者さん


2023年11月9日木曜日

世直し縛られ地蔵 伊賀市岡田

阿保から国道165号線を東に走って 岡田のバス停を越え
岡田の集落も過ぎて しばらく行ったところ
左手に見える斜面に立つ地蔵さんです
車の窓越しに見ていると あっという間に通り過ぎてしまうので
気づかない人も多いかもしれません
頭上に地蔵さんの種子 カ ह が刻まれていて
その下に右手に錫杖 左手に宝珠の地蔵さんです
縛られ地蔵さんと呼ばれているとおり
昔の写真をみると 本当に縄で縛られておいでなのですが
わたしが伊賀に通うようになった頃からは 縛られておいでる姿は見たことがありません
そのような地蔵さんの姿は もう見られないかもしれませんね
奈良の矢田寺の地蔵さんは代受苦地蔵さんと呼ばれますが
「代受苦」は地蔵の誓願の核心にあるもので
もし私がさとりを受けたなら その後は地獄の衆生に代わって苦を受ける
地獄の苦を私が代わって受けないならば 誓って私はさとりを受けることはない
そう言われたといいます
岡田の縛られ地蔵さんも代受苦の身代わり地蔵さんだろうとおもうのですが
ただ「世直し」ということばが ひっかかりますねえ
何か他にも言い伝えがあるのかもしれません

※ここは交通量が多くて危ないので注意が必要です

2023年11月6日月曜日

うちのお墓の地蔵さんたち

母の眠る墓地の地蔵さんでして
体調がいまいちで 遠くにいけないので 満を持して登場してもらいました
童顔の良いお顔の地蔵さんですやろ
帽子と前掛けに注目です
こちらの写真のタイムスタンプは2017年となっております
こちらが2018年 良い配色でしょう?
こちらは2020年 
そして2022年
最後に今年 2023年
2019年と2021年のバージョンもあったはずなのですが 
写真が残っていないのが残念無念です
どんな方がお世話されとるのやろ と 気をつけてはいるのですが
いまだにお見かけすることがないのです
他にもこちらの地蔵さんの蝶ネクタイ風のリボンもとってもおしゃれです
そういえば こちらの 一番大きな地蔵さんの話しですけど
先週に墓参りに行きましたら この地蔵さん 影も形もなくなっていて
地蔵さん失踪さんしたのやろか と心配しておりました
そしてまた一週間ほどしてお墓にまいりますと
あれえ 地蔵さん えらい綺麗にならんして とびっくりしたのでした
新しくできる永代墓の方に引越しされたようで
しかし綺麗になられましたねえ















 

2023年11月5日日曜日

阿保の地蔵さんたち 伊賀市阿保

阿保頓宮の西側 民家の庭のような場所にも 地蔵さんの姿を見ることができます
小さいですが立派な覆堂です
在所の中にたくさんの講があって その講ごとにお祀りされているのでしょうか
撫でて 撫でて されているのでしょう 
目鼻も何もわからないほど お顔はツルツルです
初瀬街道に向かって進んでいくと 左手に阿保親王のお墓が見えています
先日紹介した阿弥陀さんの前を通って行きます
ここにもブロックを積み上げた立派なお堂があります
たくさんの地蔵さんがずらりと並んでいます
今年は春から体調がいまいちで 
今日は久しぶりに ブラブラ歩きができました
もうちょっと 歩きたいなあ







2023年11月3日金曜日

種生辻の延命地蔵 伊賀市阿保

阿保宿は東西を初瀬街道が貫き 北からは上野街道が 南からは八知街道が接続する交通の要衝でした それに加えて阿保は 上野 名張とともに 伊賀藤堂藩から商業を営むことを許された町でしたから 商売の町としても活気のある場所だったとおもいます
旧街道を辿って歩くと一際目立っているのが大神宮常夜燈です
5メートルを少し越える立派な常夜燈で 安政七年に建立されています
常夜燈の下に建てられた小さな覆堂に延命地蔵さんが立っています
前掛けで地蔵さんの首から下はまったく見えませんが
古い地蔵さんのオーラが出ています
あちこちでお祭りの準備が始まっています
11月2・3日に大村神社の例祭が開かれます
大当講社中と書かれています おおとうこう と読むようです
どんな意味があるのでしょう
夜になって灯りがともると美しいでしょう 見てみたいですねえ
阿保を歩くのが好きです しかし車を停める場所がなくて 難儀します
利用者が少ない日は青山ホールの駐車場を開放されるとか 
町で工夫されると 阿保の町を愛する人がもっと増えるだろうとおもうのですが